険しい顔で入ってきたお客さんが、帰りには少しほどけた顔になってる——満たされるのは、胃袋より心のほう

昼どき、急ぎ足でラーメン店ののれんをくぐる人の後ろ姿

ラーメン屋をやってて、たぶん僕しか見てないんじゃないかな、っていう景色があるんですよ。

お客さんの、入ってくるときの顔と、帰るときの顔。

これが、違うんです。

入ってくるときは、けっこう険しい

昼どき、入口が開いて、お客さんが入ってくる。

その顔が、けっこう険しいんですよね。

怒ってるわけじゃないと思います。たぶん、昼休みで時間がないとか。仕事の合間に、急いで来てるとか。頭の中はまだ仕事のことでいっぱいで。そういう顔です。

眉のあたりに、ちょっと力が入ってる感じ、わかります?

帰るときには、ほどけてる

で、食べ終わって、帰るとき。

その険しさが、ほどけてるんですよ。

笑顔……とまではいかないです。そこまで大げさじゃない。でも、顔のどこかが、ゆるんでる。入ってきたときの、あの硬さが、ないんです。

僕、それを見ると、こっちもちょっと和らぐんです。

ああ、よかったな、って。言葉にするほどでもない、小さい「よかった」なんですけどね。

これ、たぶん僕にしか分からない

不思議なのが、これ、たぶんスタッフには分からないんですよ。

同じ店にいて、同じお客さんを見てるはずなのに。なんで、って聞かれると、うまく説明できないんですけど。毎日やってるうちに、いつの間にか見えるようになってた、としか言いようがないです。

湯気の立つラーメンを前に、箸を持つ両手

満たされるのは、胃袋より心のほう

じゃあ、なんで顔が変わるのか。

もちろん、お腹がいっぱいになったから、っていうのはあると思います。胃袋は満たされてる。

でも、いちばんは——心が満たされたから、なんじゃないかなって、ちょっと思ってて。

みんな、なんか普段から余裕がないっていうか。ピリピリしてるような感じがするんですよね。仕事に追われて、時間に追われて。その合間に、温かいものを食べて、ほっとする。

その短い時間で、心のどこかが、ちょっとだけ満たされる。それが、顔に出るんだと思います。

最初から柔らかい人も、いる

で、もうひとつ気づいたことがあって。

入ってくるときから、顔が硬くない人。最初から柔らかい人も、いるんですよ。

そういう人って、どっか心に余裕がある。人に対して、気遣いができる。

逆に、言い方は悪いんですけど——余裕がなさそうな人は、態度もちょっと硬いことが多い気がします。「ごちそうさま」も何も言わずに、無言で帰っていく。そういう人が、けっこう多いです。

でも、責めたいわけじゃないんです。たぶん、その人が悪いんじゃなくて、余裕がないだけなんですよね。

余裕がある人は、人を気遣える

これ、店の中だけの話じゃない気がしてて。

余裕があるから、人を気遣える。余裕がないと、目の前の人に気を配る隙間がなくなる。お客さんに限らず、たぶん誰でもそうです。

……ってことは、ですよ。上に立つ人の顔も、同じように見られてるってことじゃないですか。

店主が険しい顔で厨房にいたら、スタッフは声をかけにくい。店主にちょっと余裕があれば、スタッフも、お客さんに柔らかくなれる。僕がお客さんの顔を見てるのと同じように、スタッフも、僕の顔を見てるんだと思います。

……と、ここまで言うとね、こう思いますよね

自分へのツッコミも、書いておきます。

「顔の変化なんて、そんなに見えるもんなんですか?」

見えるんですよ、これが。厨房からだと、入ってくる人も、出ていく人も、ちゃんと目に入るので。

「無言で帰る人のこと、正直どう思ってるんですか?」

言い方が悪いのは承知で言うと、態度が悪いな、と感じることはあります。人間なので(笑)。

でも、たぶんそういう人ほど、余裕がない。だったら、うちで食べてる間だけでも、ちょっと満たされて帰ってくれたらいいな、と思ってます。帰り際の顔が少しでもほどけてたら、それで十分なんですよ。

「それって、ラーメンの力なんですか?」

胃袋の力は、もちろんあると思います。でも僕は、それだけじゃないと思ってて。

何が心を満たしてるのか——味なのか、店の空気なのか、ひとりでほっとできる時間なのか。そこは正直、答えは出てないです。

昼下がり、のれんの外をゆっくり歩いていく人の後ろ姿

一杯ぶんの、余裕

まとめますね。

険しい顔で入ってきたお客さんが、帰りには少しほどけた顔になってる。

満たされたのは、胃袋だけじゃなくて、心のほう。そして、心に余裕がある人ほど、人を気遣える。

だから僕の仕事は、ラーメンを出すことなんですけど、たぶんそれだけじゃなくて。お客さんの余裕を、一杯ぶん、取り戻してもらうことなのかもしれません。

今日も、入口と出口の顔を、見てます。