券売機の前の10秒——お客さんは、お腹と財布と感情に相談してる

券売機の前に立つ人の後ろ姿、ボタンはピンボケ

今日はね、券売機の話をします。

うちの店でいちばん地味で、いちばん働いてる機械です。僕、あいつのこと、毎日見てるんですよ。正確には——あいつの前に立つお客さんのことを。

常連さんは、迷わない

まず、気づいたことから。

常連さんってね、頼むものが決まってるんですよ。券売機の前に立って、ピッ、で終わり。迷いがない。いつもの一杯が、その人の中でもう決まってるので。

じゃあ、誰が迷うのか。初見のお客さんとか、まだ来て間もない人です。で、面白いことに、セット物を買っていくのも、だいたいこの人たちなんですよね。

券売機の前の、10秒

初めてのお客さんって、券売機の前で10秒くらい止まるんですよ。

あの10秒、何をしてると思います?

僕はね、相談してるんだと思ってます。相手は三者。お腹と、財布と、感情。

お腹は「今日はどれくらい食えるか」。財布は「給料日まで、あといくらか」。感情は「今日は、いくぞなのか、どうなのか」——この三者会談を、券売機の前の10秒でやってるんですよ。

だってそうじゃないですか。僕らだって、よその店の券売機の前で、同じことやってますからね。

お客さんは、階段を一段ずつ登る

で、ここからが今日いちばん言いたいところです。

初めての店に行ったら、みんな、まず素のラーメンを頼むじゃないですか。その店の基準を知りたいから。

食べて、「あ、この店、チャーシューうまいな」ってなったら——次に来たとき、チャーシュー麺を頼む。

じゃあ、チャーシュー丼はいつ頼むのか。

チャーシュー丼って、ちょっと勇気が要りません? だって単品で400円、500円するわけですよ。ラーメンに足したら、けっこうな金額になる。外したら痛い。

だから、順番があるんです。ラーメンでチャーシューを知って、チャーシュー麺で「やっぱりいいな」って確かめて——そこで初めて、丼に手が出る。

お客さんは、階段を一段ずつ登ってるんですよ。いきなり三段目には、飛ばない。

食券を手に持つ手元のクローズアップ

店の仕事は、次の一段を見せておくこと

そう考えるとね、店側の仕事って、はっきりするんです。

迷わせないこと。 次の一段を、見えるところに置いておくこと。

チャーシュー麺まで登ってきた人に、「丼も、ありますよ」って——広告みたいに、そっと見せてあげる。そうすれば、三段目に足をかける人は増えるはずなんですよ。

実際うちは、券売機のトップに写真で出してます。文字だけより、写真のほうが一発なので。

でも、出しすぎると券売機がカオスになる(笑)

じゃあ全部押し出せばいいかっていうと、逆なんですよね。

あれもおすすめ、これもおすすめって全部貼ったら、券売機がカオスの状態になっちゃうんですよ。全部が主役の券売機は、何も主役じゃない。お客さんの10秒が、20秒、30秒になっていく。迷わせないためにやったことが、迷わせる原因になる。

だからここは、厳選です。伝えるべきことだけを、伝える。

これ、メニューを醤油一本に絞った話と同じ考え方なんですよね。増やすより、削るほうが、伝わる。

……と、ここまで言うとね、こう思いますよね

自分へのツッコミも書いておきます。

「それ、お客さんを誘導してるだけじゃないですか?」

半分そうです。でもね、僕の中にルールが一個あって——まずいものは、推さない。

チャーシュー丼を見せるのは、チャーシュー丼がうまいからです。うまいと分かってるものへの階段を短くしてあげるのは、誘導というより案内だと思ってます。それに、迷う時間が減るのって、お客さんにとっても楽なんですよ。

「10秒の相談って、覗きすぎでは(笑)」

覗いてるわけじゃないんですけどね。厨房から見えちゃうんですよ、毎日、何十人分も。

それだけ見てると、分かるようになるんです。すっと押す人、止まる人、一回離れてまた戻る人。券売機の前って、その人の今日が、ちょっとだけ出る場所なので。

「で、写真を出して、選択率は上がったんですか?」

正直に言うと——数字では、まだ測ってません。 体感では出てる気がしてますけど、それは「気がする」の域です。

ただ、原価の話でも書きましたけど、うちは一杯ごとの積み重ねの商売なので、丼が一日に数個増えるだけでも、月で見ればぜんぜん違う。ここは今後、ちゃんと数字で見ようと思ってます。

カウンターに置かれた、湯気の立つチャーシュー丼

10秒の会談に、そっと資料を差し込む

まとめますね。

券売機の前の10秒で、お客さんはお腹と財布と感情の三者会談をしてます。で、お客さんは階段を一段ずつ登ってくる。ラーメン、チャーシュー麺、その先の丼へ。

店の仕事は、その会談にそっと資料を差し込むことです。「次の一段、ここにありますよ」って。ただし、資料は厳選して一枚だけ。全部差し込んだら、会談がカオスになるので。

券売機って、ただの機械じゃないんですよ。うちの店とお客さんの、最初の会話の場所なんです。