丼が返ってくるのは、テストが返ってくるのと同じ——「なんで残すんだよ」をやめた話
2026-08-27

今日はね、丼が返ってくる話をします。
地味な話に聞こえるかもしれないんですけど、僕の中では、けっこう大事な話です。
丼は、答案用紙なんですよ
お客さんが食べ終わって、丼が返ってくるじゃないですか。
あれね、僕はこう受け取ってるんです。
テストが、返ってきた。
ほとんどの人って、たぶん作って終わりなんですよ。盛り付けて、出して、はい次。
でも、違うんですよね。
作って、食べてもらって、返ってきたものを見る。 そこに書いてあるのが——答えじゃないですか。
だから僕は、返ってきた丼を必ず見ます。スタッフにもね、「どういう感じで残ってるか、必ず教えて」って伝えてます。
チャーシューの脂身が、残ってた
具体的な話をしますね。
うちのチャーシュー、脂身が残されて返ってくることがあったんですよ。
で、正直に白状すると、最初の僕はこう思ってました。
「なんで脂身残すんだよ。脂だって美味しいだろ」
いや、実際おいしいんですよ、脂身って。甘みがあってね。
……でもね、あるとき、ふっと思ったんです。
いや、待てよ。これじゃダメだよな。
僕が「美味しいだろ」って思ってても、残されたっていう事実は消えないんですよ。丼にそう書いてあるんだから。答案は返ってきてるんだから。
で、切り方を変えました
「なんで残すんだよ」をやめてね、こう考えることにしたんです。
まず、自分でできることをしよう。
で、チャーシューの脂身をね——できるだけ小さく、できるだけ薄く切るようにしたんですよ。
脂身が好きな人はちゃんといます。苦手な人がいるのも分かってる。だったら、好きな人には物足りなくならず、苦手な人には残されない厚みとサイズがあるはずなんですよね。そこを探した。
これ、お客さんに「脂身どうですか?」って聞いたわけじゃないんです。丼が教えてくれたんですよ。

残り方で、考えることが変わる
丼の見方って、慣れてくるとけっこう深くてね。
たとえばメンマが残ってたとするじゃないですか。そうすると——味付けが悪かったのかな。それとも、食感かな。 って考えられる。
スープの残り具合、麺の残り方、何がどう残ってるか。残り方それぞれに、違う答えが書いてあるんですよ。
もちろん、全部が店のせいじゃないです。単純にお腹いっぱいだった、とかもある。一杯の丼で決めつけはしません。 でも、同じ残り方が続いたら——それはもう、偶然じゃないんですよね。
……と、ここまで言うとね、こう思いますよね
自分へのツッコミも書いておきます。
「ただの好みの問題では?」
——そういうことも、ありますよ。脂身が苦手な人は、どう切っても苦手かもしれない。
でもね、「好みの問題だ」で片づけると、考えることが止まっちゃうんですよ。薄く切ったら食べてもらえるかもしれないのに、その可能性ごと捨てることになる。
だから僕は、好みの問題「かもしれない」けど、まず自分にできることを探す。順番の話です。
「お客さんに合わせすぎたら、店の味がブレません?」
いいところ突きますね。軸は変えてないんですよ。
味は、うちの味のままです。変えたのは切り方——つまり、届け方のほうで。ここの線引きは、自分の中ではっきりさせてます。答案を見て変えるのは「伝え方」で、「言いたいこと」は変えない、っていう感じですかね。
「残されたら、凹みません?」
凹みますよ(笑)
だから「なんで残すんだよ」って、最初は腹が立ってたわけで。でもね、テストだと思うようになってから、ちょっと変わったんです。返ってきた答案に腹を立てる受験生って、いないじゃないですか。 見直して、次に活かすだけなんですよね。

これ、ラーメンだけの話じゃないんですよ
まとめますね。
丼が返ってくるのは、テストが返ってくるのと同じ。それが答えで、見なかったら次につながらない。
……で、最後にひとつ。これ、自分でも目からウロコだったんですけど。
この考え方、いろんなことに使えるんですよ。
思い通りにならないことって、あるじゃないですか。理不尽なこと。期待と違う結果。そういうとき、みんな——僕も含めて——**「なんでだよ」**ってなっちゃうんですよね。
そこでね、一拍置いて。
「あれ?……なんでだろう?」
に変える。怒りの「なんで」を、疑問の「なんで」に変える。たった一文字ぶんの違いなんですけど、そこから先が全然違うんですよ。「なんでだよ」の先には何もないけど、「なんでだろう」の先には、次の一手がある。
これ、ラーメンだけじゃなくて、人生でも一緒だよなと思ってます。
——というわけで、今日も丼を見ます。今日の答案は、どうですかね。
