うちの店に「辞めたいの前兆」がない理由——語尾の下がった、いらっしゃいませの話

カウンター越しに、湯気の立つ丼を両手でそっと置こうとしている手元

「スタッフが辞める前兆って、どんなものがありますか?」

——って聞かれたんですよ。で、考えてみてね、気づいたことがあって。

うちの店、それがないんです。

前兆がない、って言うと聞こえがいいんですけど

「辞めたい」って切り出される前に察知してフォローしてるから、とか——そういう、いい話じゃないんですよ。

正直に書きますね。

どっちかというと、僕のほうから先に話をしてるんです。

店の方針にどうしても沿えない人にはね、こっちから「申し訳ないけど、うちのやり方とは合わないよね」っていう話をする。だから、向こうから「辞めたい」が出る前に、話が始まってるんですよ。

……はい。今日はこれを、ちゃんと書きます。たぶん今までで一番、誤解されやすい話なので、丁寧にいきますね。

先に、「うちのやり方」の中身を

「店の方針」って言っても、無茶なことを求めてるわけじゃないんですよ。たとえば、こういうことです。

いらっしゃいませは、不快にならない大きさで。

大きすぎず、小さすぎず。んで、ここが今日いちばん話したいところなんですけど——語尾がちょっと上がる「いらっしゃいませ」。あれがいいんです。

逆にね、語尾が下がる「いらっしゃいませ……」ってあるじゃないですか。

あれ、不快……とまではいかないんだけど、違和感を感じません?

やる気って、言葉に出るんですよ

なんで語尾なんかにこだわるのか。

その人のやる気って、言葉に似るんですよ。 言葉の雰囲気とか、声の量とか。そこに、そのまま出ちゃう。

皆さんも、自分がお客さんの立場で考えてみてほしいんですけど——店員さんが気を抜いて「いらっしゃいませ……」って言ったとき、一発で分かりません?

僕は一発で分かります。「あ、この人、気持ち入ってないな」って。

で、それが分かるってことは、うちの店でスタッフがやれば、うちのお客さんにも一発で分かってるってことなんですよ。

だから僕は言うんです。そういう態度で「いらっしゃいませ」なんて言うんじゃないよ、って。

ほかにもね、提供のときは優しくそっと置きましょうとか、ただ待ってるんじゃなくて自分から動きましょうとか。——どれも、特別なことじゃないと思うんですよね。

厨房の作業台の隅に置かれた、小さなメモ帳と鉛筆

メモ帳を、持ってこない

で、どうしても合わない人って、どういう人か。

受け身の人です。

自分から動かない。声が小さい。そして——覚えようとしない。

「メモ帳、持ってきてね」って言うんですよ。そうすると、まず持ってこない。持ってきても、メモしない。

で、どうなるかというと。

「あれ、どうやるんでしたっけ?」

——これが、何回も来る。

一回や二回なら、全然いいんですよ。誰だって忘れます。でも、メモも取らずに同じ質問が続くとね、それはもう「覚えられない」じゃなくて、**「覚える気がない」**なんですよ。

いきなり言うわけじゃ、ないんです

ここ、大事なところです。

「合わないよね」の話をする前にね、僕は何回も伝えてます。

「お店のやり方はこうだから、それに沿ってやってほしいんだよな」

この話を、何回かする。チャンスは、ちゃんと出すんです。

で、そのとき僕が見てるのは、たったひとつなんですよ。

あなたは、変われる人なのか。そもそも、変わろうとしないのか。

変わろうとする人は、いいんです。すぐできなくても、全然いい。メモを取り始めた、声がちょっと大きくなった——変わろうとしてるなら、僕は待ちます。

でも、何回伝えても変わろうとしない。受け身のまま。——そこで初めて、あの話をします。

「申し訳ないけど、うちのやり方とは合わないよね」

……と、ここまで言うとね、こう思いますよね

自分へのツッコミも書いておきます。今日はいつもより、ちゃんと書きます。

「それって、クビってことですよね?」

一方的に「明日から来なくていい」って切ってるわけじゃ、ないんですよ。話をするんです。うちのやり方はこうで、あなたはそれに沿えてなくて、何回か伝えたけど変わらなかった。だったら、お互いのために合う場所を探したほうがいいんじゃないか——っていう話し合いです。

それでも、こっちから切り出してることに変わりはない。重い話だっていう自覚は、あります。 だから「申し訳ないけど」から始めてるんです。あれは枕詞じゃなくて、本心です。

「厳しすぎません?たかがバイトに」

うーん。これはね、逆側から見てほしいんですよ。

うちには、ちゃんとやってるスタッフがいるんです。語尾の上がる「いらっしゃいませ」を言って、メモを取って、自分から動いてる子たちが。

受け身の人をそのままにするとね、その子たちが損するんですよ。 同じ時給で、片方は動いて、片方は待ってる。それを店長が見て見ぬふりしたら、頑張ってる子はどう思います?

前に「もう、いいや」って諦めて放置した話を書きました。あれの反省でもあるんです。 放置がいちばん、みんなを不幸にするので。

「教え方が悪いだけでは?」

……半分は、そうかもしれません。

僕の伝え方がもっとうまければ、変われた人もいたのかもしれない。そこは、否定できないです。

ただね、教わる側の「変わろうとする気」だけは、こっちからは作れないんですよ。メモ帳を開くかどうかは、最後は本人なんです。ここだけは、どうしても。

夜、営業を終えた店の入口で、のれんを外そうとしている手元

変われる人か、どうか

まとめますね。

うちの店に「辞めたいの前兆」がないのは、自慢でも何でもなくて——その前に、僕から話をしてるからです。

で、その判断の基準は、能力じゃないんですよ。変われる人かどうかなんです。

いま下手でもいい。声が小さくてもいい。変わろうとしてる人とは、僕はいくらでもやっていけます。

でも、変わろうとしない人と一緒にやることは——お客さんのためにも、頑張ってるスタッフのためにも、そして正直、たぶん本人のためにも、ならないんですよね。

——最後に、ひとつだけ。

「変われる人か、変わろうとしないのか」って、僕自身にも向いてる問いなんですよ。

文体が硬いって言われたら直す。教え方が悪いのかもって言われたら考える。店長が変わろうとしない店で、スタッフだけ変われって——そんな虫のいい話、ないですから。