「もう、いいや」と思った日——僕が、ひとりのスタッフを諦めた話
2026-08-02

今日、スタッフから「辞めさせてください」って言われました。今月いっぱいで辞めるそうです。
正直に書きますね。今日は、きれいな話じゃありません。僕が、人を諦めてしまった話です。
苦手なスタッフでした
その人のことがね、僕はちょっと苦手だったんです。
理由は、返事で。注意すると、嫌そうな返事をして、へそを曲げる。不機嫌になる。前に「注意する側だって、しんどいんですよ」って記事を書きましたけど、まさにあれです。
でもね、この人の場合、もうひとつやっかいなことがあって。
その不機嫌が、**「注意できないギリギリのライン」**なんですよ。
あからさまに態度が悪ければ、「その態度はよくないよ」ってガツンと言えるんです。そこは僕、言えます。でも、そうじゃない。何とも言えない、微妙に嫌そうな空気。言葉にすると「そこまで言うほどか?」になっちゃう。でも確実に、こっちの心は削られてるんですよ。
だからその人が失敗するとね、僕の頭の中はこうなるんです。
「ああ、注意しなきゃ。……やだな。でも、言わなきゃそのままだしな」
で、話しかけるときには——胸が、ドキドキしてるんですよ。自分の店なのに。自分のスタッフなのに。言いたくないけど、言わなきゃいけない。あの感覚、なんなんでしょうね。
三年、我慢しました
それでも僕、三年くらい、言い続けたんです。
「もっとこういうふうにやろうよ」「もう少し丁寧にやろうよ」。伝え方も考えて、タイミングも選んで。育ってほしかったから。
でもね、三年経ったあたりで——僕の中で、我慢ができなくなりました。
そして、決めたんです。この人に、成長を促すのはやめよう、と。
やり方も変えました。その人にやらせて育てるんじゃなくて、その人がやったことを、僕がいちいちチェックする。 自分が全部、管理する。
本当はね、こんなのダメだって分かってるんですよ。それをやったら、その人はもう伸びない。前に自分で書いたじゃないですか。「注意されなくなったら、人は伸びなくなる。これ、けっこう怖い話で」って。
——その怖い話を、僕は、自分の店で、自分の手でやったんです。
信用残高が、ゼロになった感じ
あのときの感覚をね、いま言葉にすると、こうなります。
その人に対する、僕の"信用残高"が、なくなった。
何をやっても無駄だ、あなたは。——そんな気持ちになってしまった。ひどい話です。でも、そうなっちゃったんですよ。
それからは、仕事以外の会話を、しなくなりました。
他の人とは、ふつうに雑談します。でもその人とだけは、割り切って、仕事の話しかしない。挨拶して、指示して、確認して、終わり。
このブログでさんざん「挨拶は存在に気づいた合図だ」なんて書いてきた僕が、ですよ。その人の存在から、目をそらしてたんです。

いちばん書きにくい、本当のこと
ここからは、いちばん書きにくいことを書きます。
僕、朝は店に一番乗りで出勤するんです。で、シフト表を見る。そのときにね——その人が今日は出勤しないと分かると、ホッとするんですよ。
「ああ、なんか、心が落ち着くな」って。
……最低ですよね。人の上に立つ人間が、部下が休みだとホッとするなんて。でも、事実なんです。三年かけて、僕の心はそこまで来てました。
だから今日、「辞めます」と言われたとき。心臓はドキドキしたけど、その裏で——もう会わなくていいんだ、っていう安堵が、確かにあったんですよ。
自分の中で、割り切っちゃったんだなあ、と思いました。
それでも、店は回さなきゃいけない
もちろん、ホッとしてる場合じゃないんですけどね。
うちは正直、ギリギリの人数で店を回してます。ひとり抜けるのは、普通に痛い。だから今日、その日のうちに求人をかけました。
でも、人が来るかどうかは分からない。その不安も、ちゃんとあります。
不安なのに、ホッとしてる。ホッとしてるのに、不安。——人間の心って、そんなにきれいに整理できないんですね。
辞めるときって、たぶん
今日いろいろ考えててね、思ったことがあるんです。
前に、うちを卒業して就職していったスタッフの話を書きました。あれは、きれいな辞め方です。おめでたい。ああいう別れなら、迷いなく送り出せる。
でも——それ以外の「辞める」って、たいてい、何かあるんですよね。
本人の中に何かあったのか、その人と誰かの間に何かあったのか。うちの場合は、後者です。僕とその人の間に、あった。 それも、僕の側にも確実にあった。
だから、全部が全部きれいに終わるわけじゃないんですよ。そういうもんなんだなあ、と今日思いました。
反省文には、しません
こういう記事はね、「もっと寄り添うべきだった」ってきれいな反省でまとめたくなるんです。でも、それは嘘になるのでやめます。
あのときの僕には、あれが限界だった。 諦めることでしか、自分の心を守れなかった。それが事実です。
ただ、これだけは覚えておこうと思ってます。
僕は、人を諦められる人間だ。 少なくとも、そういう自分がいる。
僕ね、経営の困難には、けっこう立ち向かえるほうだと思ってるんですよ。お金が減っていく恐怖にも、値上げの怖さにも、なんだかんだで向き合ってきました。困難に立ち向かう強さは、ある。
でも、こういう部分に対しては——人としての弱さを、持ってるんだなって。
ひとりの人間と、しんどくても向き合い続けること。嫌な空気に耐えて、それでも諦めないこと。そこは、僕、弱いんですよ。三年で、折れちゃったんですから。
でもね、これ、けっこう大事な自己認識だと思うんです。「自分は絶対に人を見捨てない」って思ってる人のほうが、たぶん危ない。自分の中に弱さがあると知ってるから、次に同じ状況になったとき「あ、いま俺、諦めかけてるな」って気づける。 気づけたら、少しは踏みとどまれるかもしれない。

最後の日まで、あと少し
その人は、あと少しのあいだ、うちで働きます。
正直、まだ気持ちの整理はついてません。ホッとしてる自分もいるし、それを情けないと思う自分もいる。
ただ——最後の日は、ちゃんと「お疲れさま」って言おうと思ってます。それくらいしか、できることがないので。
三年間、うちで働いてくれたのは、事実ですから。
——経営って、本当に、難しいなあ。今日は、それに尽きます。
追記。
この記事を書いてから、しばらく経ちました。
あらためて考えたのはね、そもそも、なぜ放っておいてはいけなかったのかってことです。三年も我慢する前に、できたことがあったはずなので。
そっちは、別の記事に書きました。
→ 苦手なスタッフを放っておくと、頭の中を占領される——対処の順番を間違えた話
そして——その人が最後にユニフォームを返しに来た日のことも、書きました。この話の、本当の終わりです。